整体の道についたきっかけ④

~昔の整骨院、 柔術家と整体師 「活法」と「殺法」~

私の整体の恩師は大学の近くの整骨院の先生でした。
強面で有名なK大出身で柔道部のOBでした。他校でも関係なく、武道系の部員は、治療費は無料でした。今思えば当時の整骨院は、まだ、電気治療はやってなく、現在と違い保険の適用はごくわずかで売り上げもそんなにないのに、気前が良く包帯だけは持って来いと、気軽な経営をやっておられました。
まだ若いといっても20歳を超えてそんなこともわからなかった私たちは今思えば恥ずかしい限りです。それでも、みんなで酒を飲むと機嫌がよくなる、硬派の先生でした。

ある時、組手の弱さを相談しますと、
「お前、根性ないからな。」
「先生、相談ですよ、嫌味言わないでくださいよ。」
「締めろよ!」
「反則ですよ。」
「試合とは違うだろ、組手だろ!」
「監督に怒られませんか?」
「分からないように、やれよ、舐められるな!」
「おす」
それから、稽古をつけていただきました。先生は柔道部でしたが、以前より大東流柔術の師範でもありました。
各大学に柔道部や合気道部は、当時も数多くありましたが柔術部はありません。
武道とは道を目指すということで、青少年の人格の育成とか、教育の一環として考えられていましたが、柔術をやっている方は、古来より伝わっている技の伝承が大事と思想が異なっていました。
~続く~